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チームラボ『生きる』展


自然の恵みも脅威も、そして文明の恵みも脅威も、連続的で、つながっている。どこかに絶対的な悪意があるわけでもなければ、かといって綺麗ごとでもすまない。もはや、わかりやすい解などないし、感情すら整理できないかもしれない。それでも、あらゆる状況においても、絶望せずに前を向いて生きていく。そんな今、全部肯定して、チームラボ、『生きる』展。


近代以前の知、古来日本の空間認識
僕らは、人類が長年培ってきた古来の文化的知の中に、近代社会とは相性が悪かったために捨てられたものが多くあり、その中に新しい社会のヒントがあるのではないかと、僕らは信じています。その中でも、特に、近代以前の日本の空間認識を模索してきました。

・世界が、日本画のように見えていた

日本の人々は、近代以前の19世紀後半まで、今とは違ったふうに世界を捉えていて、今とは違ったふうに世界が見えていたのではないかと思っています。一般的に伝統的な日本画は観念的だとか平面的だとかと言われていますが、当時の人には、空間が日本画のように見えていたのではないかと思っています。そして、現代人が遠近法の絵や写真を見て空間を認識するように、当時の人々は、日本画を見て空間を認識していたのではなかろうかと思っています。つまり、そこには、西洋の遠近法とは違う論理構造が発達した空間認識があったのではないかと考えているのです。近代以前の日本自体がアジアの影響を多大に受けているので、古来のアジアの空間認識とも言えるかもしれません。

・古来の日本の空間認識を、僕らは超主観空間と呼ぶ

僕らは、「デジタルという新たな方法論によって、その論理構造を模索する」というサイエンス的なアプローチを試みています。具体的には、コンピューター上の3次元空間に立体的に世界を構築し、その3次元空間が日本美術の平面に見えるような論理構造を模索しています。そして、この論理構造を、僕らは、『超主観空間』と呼んでいます。
僕らは、平面に絵を描いてアニメーションを作っているわけではなく、作品世界を3次元空間上に立体的に構築し、それを超主観空間によって平面化することで作品を作っています。論理的に平面化することによって、永遠に変化し続ける作品や、インタラクティブ(双方向的)な作品を作ることができます。そして、作品を作ることを通して、超主観空間の平面の特徴や現象を発見し、それを利用することによって新たな視覚体験を試みたり、近現代の人々の世界の捉え方への問いを投げかけたりしているのです(図1、図2)。

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図1(左):3次元空間上に立体的に構築した作品世界を、遠近法によって平面化した図(『花と屍 剝落 十二幅対 繁栄と厄災』より)
図2(右):図1と同じ空間を、超主観空間によって平面化した図(『花と屍 剝落 十二幅対 繁栄と厄災』より)

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youku
動画1:完成図(『花と屍 アニメーションのジオラマ』より)

・人間の目は写真や遠近法のように見えない

西洋の遠近法で描かれた絵(図3)は、すごく簡略化すると、画家の視点(図4、青い人型)を原点として、扇状の空間が描かれています(図4)。鑑賞者は、描き手の視点で世界を見ていることになります。写真も細かいことを除けば同じです。
さて、近代以前の日本の人々は、日本画(図5)のように世界が見えていたと仮定しましょう。画家を、仮に(図6、青い人型)とすると、図6の水色の部分が見えていることになります。
こんなふうに世界が見えるはずがないと思うかも知れませんが、遠近法や写真もまた同じくらい不自然です。
ある瞬間の肉体としての目が見えている部分は、自分で認識しているよりも、極めて狭く、極めて浅いです。遠近法や写真のように広い空間は見えていません。しかし、人間には時間軸があって、目の玉は動かすし、目のフォーカスも動かしています。狭くて浅いフォーカスで得た多くのイメージを脳で合成し、写真や遠近法の絵のように見えている気がしているだけだと考えられます。つまり人間は目という極めて貧弱なカメラで何枚も何枚も連続して周囲を撮影し、そうして得られた大量のイメージを一定の論理構造を使って脳内で合成し、空間として理解しているのだと思うのです。人は首も振るし、歩きます。合成に使うために過去にさかのぼる時間は増えるかもしれませんが、遠近法とは違った論理構造を使って脳内で合成していたと思えば、図6のように世界を認識していたとしても、不思議ではないのです。

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図3(左):モナ・リザ[© RMN-Grand Palais (musee du Louvre) / Michel Urtado / distributed by AMF-DNPartcom]
図4(右)
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図5(左):法然上人行状絵図( 知恩院蔵)
図6(右)

・絵を見ながら、絵の中に入り込める

西洋の遠近法による絵画や写真を見ているとき、その中の登場人物(図7 赤い人型)になりきってると、見えている風景が変わります。正面を向いた肖像画の人物になった気になると、鑑賞者がいる世界が見えることになります(図7 ピンク色の部分)。
むかしの日本の人々には、図8のように世界が見えていたと仮定しましょう。鑑賞者は日本画を見ています。そして、画の中の登場人物(図9、赤い人型)になりきってみるとすると、図9のピンク色の部分が見えている部分になります。つまり、登場人物に見えている風景は、画とほとんど変わらないことになります(図9)。画を見ながら、画の中の登場人物になりきったとしても、そのまま同じその画の中の光景を見続けることができるのです。つまり、「画を見ながら、画の中に入り込む」ことができ、鑑賞者は鑑賞者のまま画の中を自由に動き回ることができるのです。

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図7(左)、図8(中央)、図9(右)

・鑑賞者中心に鑑賞できる

カメラで対象物の近くに寄って撮った写真をつなぎ合わせてひとつの全体写真をつくったとします(図10)。しかし、それはカメラで遠くから対象物全体を写した写真(図11)とは全く別ものになってしまいます。西洋の遠近法では、近くの視点での(投影面に対象の空間のごく一部が写っている)平面をいくつかつなぎ合わせて(図10)、遠くの視点で空間全体を認識した(投影面に空間全体が写っている)平面(図11)を作ることはできません。 超主観空間では、空間の一部を細かく認識した平面をつなぎ合わせた平面(図12)と、その空間全体を認識した平面(図13)は、論理的に同等になります。それは、「鑑賞者中心に鑑賞できる」ことを意味します。つまり、ある絵画を、絵画全体を見える位置から見ているときには、その絵画が表している空間全体の中に鑑賞者たる自分もいることになれるだろうし、絵画に近付いて、絵画の一部しか見えない位置から凝視すれば、その凝視している部分が表している空間の中にいることにもなります(図12)。縦横無尽に好きな場所から絵を鑑賞できるのです。そして、それは「視点が限定されず、視点の移動が自由」であることを意味します(図13)。
日本美術の絵巻やふすま絵は、こうした特性によって生まれたのではないかと考えています。絵巻は、机の上などに置いて、左手で新しい場面を繰り広げ、右手で巻き込んでいきながら、自由にスクロールしつつ見ます。つまり、超横長の絵を好きなように部分で切り取って見ているのです。そして、ふすま絵は、動くことが前提のキャンバスの上に描いています。

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図10(左):遠近法で空間の一部を認識した平面を つなぎ合わせた平面
図11(右):遠近法で空間全体を認識した平面
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図12(左):超主観空間で空間の一部を細かく把握した平面をつなぎ合わせた平面
図13(右):超主観空間で空間全体を認識した平面

・折ったり、分割したり

そして、超主観空間の平面は、自由に「分割」できることを意味します。分割した絵画を見れば、その部分が表している空間の中にいることになるからです。分割できるということは、「折る」ことも可能にします。写真や、遠近法の絵画を「折ったり、分割したり」するなんてありえませんが、日本美術ではよくあることです。屏風は、折る前提のキャンバスですし、ふすま絵は、分割することが前提のキャンバスです。

・平面を再構築し、新たな空間を自由に創る
そして、平面をつなぎ合わせた平面と、全体認識した平面は同等になるということは、自由に平面をつなぎ合わせることで、画家が描いた空間とは別の架空の空間を自由に創ることもできるということなのです。

むかしの人々が、超主観空間で世界を見ていたならば、自分が見えている世界と、見えている世界の中にいる人が見えている世界はほとんど変わらないことになります。つまり、自分が見えている世界の中にいる人になりきることが容易だったり、自分が見えている世界の中に自分がいるような感覚を感じやすかったりするということになります。 西洋の遠近法や写真のように世界を見ているときは、見えている世界が違うので見えている世界の中の人になりきったり、見えている世界の中に自分がいたりすることはできません。
そう考えると、「世界の見え方」と、「世界に対するふるまい」との間のつながりについて、新しい見方ができるような気がするのです。
むかしの日本の人々にとって、自然とは観察の対象ではなく、「我々自身も、自然の一部である」と考えているようなふるまいをしていました。
それは、何かの考えや思想によって、自然の一部であるようなふるまいをしたのではなく、単に、むかしの日本の人々は、自分が見えている世界の中にいるモノたちになりきったり、自分が見えている世界の中に自分がいるような感覚を感じやすかったから、そうしたのではないかと思うのです。つまり、超主観空間で世界を見ていたから、自分と世界との境界がないような感覚になりやく、そのようなふるまいになったのではないだろうかと考えているのです。
西洋の遠近法や写真のように世界を見ているならば、自分と、自分が見えている世界が完全に切り分かれ、はっきりとした境界ができ、自分が見えている世界に自分は存在できません。つまり、世界は、観察の対象となります。だからこそ西洋では、サイエンスが発展したのかもしれません。
「我々は、地球の一部である」と、声高に唱えられています。そして、人々は、そのことを十分に頭では理解しています。しかし、人々は、まるで、自分と世界との間に、境界線がはっきりとあり、世界は、自分がいる場所とは違う世界であるかのようにふるまっています。
それは、もしかしたら、現代社会においては、写真や実写の映像などが溢れすぎていて、世界をあまりにも写真と同じように認識してしまい、それゆえに、人々は世界を、自分がいる場所とは違う世界であるようにふるまってしまうのではないだろうかと。そんな風に思うのです。

[ART WORK 1]

Life survives by the power of life
生命は生命の力で生きている

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Life survives by the power of life, 生命は生命の力で生きている, チームラボ, teamLab

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チームラボ, 2011, デジタルワーク, 6min 23sec(ループ), 書: 紫舟

[ART WORK 2]

Life is the light that shines in the darkness

いのちは闇の中のまたたく光

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Life is the light that shines in the darkness, teamLab, Sisyu, チームラボ, カイカイキキギャラリー台北, 生きる展


チームラボ, 2011, デジタルワーク, 1600 x 1200 pixels, 3min 15sec (loop), 書: 紫舟

[ART WORK 3]
Flower and Corpse triple channel

花と屍 triple channel

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flower and corpse, teamLab, チームラボ, 花と屍

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チームラボ, 2011, アニメーション, 12min 28sec (16:9 × 3)

[ART WORK 4]

100 Years Sea [running time: 100 years]

百年海図巻 [上映時間: 100年]

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百年海図巻 上映時間:100年 チームラボ teamLab 100 Years Sea "running time : 100 years"


チームラボ, 2009, デジタルワーク, 100 years (16:9 × 5)

[ART WORK5]

100 Years Sea Animation Diorama

百年海図巻 アニメーションのジオラマ

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百年海図巻 100years sea 百年海図巻 teamLab チームラボ『生きる』展 teamLab LIVE Kaikai Kiki Gallery Taipei カイカイキキギャラリー 台北

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チームラボ, 2009, 映像インスタレーション, 10min 00sec(19m 200mm × 2m 400mm), 音楽: 高橋英明


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